クラブ変革を訴えた経緯

 私が、ライフワーク集大成としてスイミング・フィットネスクラブ変革への示唆・提言を始めた経緯から紹介したい。ライフワークの礎となったのは、青少年時代の過ごし方にあった。両親のいろいろなライフワーク・社会奉仕活動「エレノア・ルーズベルト米国大統領夫人との友好とポリオ(小児麻痺)撲滅運動・障害者問題(自ら障害を持つ政治家として)・原水爆禁止運動・日赤奉仕団・全国母親大会活動・・・等」の後ろ姿を見て育った。
 私自身、子ども会活動・キリスト教会活動・YMCA・ボーイスカウト活動と多種の活動を行ってきた。子ども会活動では紙芝居をはじめとした児童文化活動、リヤカーに風呂敷包みを乗せて出かけた教会キャンプが思い出される。高校1年の時には、日米通商条約100周年を記念して井伊大老の子孫(当時・井伊彦根市長)のメッセージをリュックに入れて渡米し、ジャンボリーに参加したり、ホームステイを体験した。
 大学時代は、聖書研究会・ローバースカウト研究会を創り、ボーイスカウト隊長(日本ギルエルコース13期生)を務めながら、朝日新聞厚生文化事業団のアサヒキャンプ(教育的組織キャンプ)のカウンセラー、スーパーバイザーも兼務していた。
 こうした大学生時代に、すでに「自然とフィジカルフィットネス」といったテーマで論文合宿をしたり、社会教育関係の研修会講師も務めるようになっていた。また、8歳から始めた教育キャンプ活動の参加延べ日数が400泊を超えた。そうした青少年・青春時代を過ごしてきた私は、「ボランティア活動」「仕事」「ライフワーク」を無意識のうちに結びつけるようになった。まさに「生涯教育・学習」のライフワークの始まりは、自らの青少年・青春時代の「学び」「体験」そのものにあったのである。
 大学卒業時には、こうした活動の延長線上にいろいろなお誘いがあった。そうした中から選んだのは、ある県の教育委員会体育課の専門的な仕事のお誘いであった。そして、野外教育センターのキャンプ長としてキャンプカウンセラーの指導・アドバイザー役を務め、さらに教育委員会社会体育係を務めることとなった。しかし、若くて正義感の強すぎる私は数年で退職することになる。今話題の「構造改革」意識を先取りしていたのかも知れない。どちらにしても、「社会体育行政」にかかわったことが新たな反面教師となり、「創造していく生涯教育・学習・社会体育活動」に新たにチャレンジする節目となったのである。
 教育委員会を退職する時には、「生涯教育・社会体育はこれからの分野だから、大学の教員を考えた方が・・・!」といった現実的・具体的な話も聞かせていただいた。しかし、いろいろな自らの足跡で教壇に立つのはいいが、大学の教員の肩書きで社会的仕事をといった流れになじめなかった。そして、日本レクリエーション研究所設立と共に、各省庁の国家公務員から各企業まで、いろいろな研修会の講師依頼が始まった。そのほとんどが、健康生活や自己啓発をテーマにした講義と実技・演習といった内容であった。
 研究所設立と共に開いた「子育て支援」をテーマにした体育教室は、各新聞社の文化センター、教育委員会各センター等、40講座を数えるようになっていた。また、野外教育活動をテーマにした「日本ボーイズクラブ」を設立して代表も務めた。さらに「日本子どもの遊び研究会」も設立し、教育雑誌『遊びの世界』も発刊した。もちろん、いろいろな協会等の役員も務めさせていただいた。
 こうした展開は、新しくユニークなものとなり、いろいろなマスコミの取材を受け、全国発信していくことになった。記事が新聞に掲載されると、それを見たテレビ・ラジオ局が取材、コメントを求めてくるといった流れから始まった。そうした展開から、いつの間にかいろいろな教育関係の番組のコメンテーターを務めることになった。今のようにお笑い中心ではなく、教育的番組は多くあり、NHKはじめ民放各社のいろいろな番組の解説をするようになった。中には、レギュラーコメンテーターを務めるものもあった。
 そんな時、マスコミを通して私の存在を知った大学から、授業の依頼が舞い込んだ。その多くは、私に「授業を受け持ってもらいたいが、どのような科目がよいでしょうか」といったものだった。学科は幼児教育・児童教育・体育・社会福祉・人間文化・・・と広がり、立場も非常勤講師から客員教授・特任教授といろいろであった。
 どの授業も学生と対話方式で行い、体験談を中心に愉しく、感動される授業展開となった。全国数多くの大学に出かけたが、アメリカの大学の日本校から日本での社会的・学問的功労等を評価され、名誉博士号(社会学)授与に関する通知書が送られてきたこともあった。
 大学の授業を始めた頃、研究員から「先生、本を書かれては?」と言われたのがきっかけとなり、ライフワークのテーマである「創っては広げ、創っては広げる!」をそのまま一つの本にしてきた結果、70冊を超える冊数となったのである。拙著は、よくある業績づくりのための本づくりはしたことがない。全て必要とされるだろうと思うテーマで、使命と誇りをもって提案したいことを一つずつ本にしてきただけである。それも自らの足跡・体験からである。私は「自ら恥を書いてきました!」と語ってきた。
 本を刊行するごとに広がっていったのが、いろいろな分野、テーマからの原稿依頼、対談、コメント取材依頼であった。テーマ例を挙げると、幼児教育・家庭教育・子どもの遊び・学校の授業・野外教育・社会スポーツ・自然環境・観光・自己開発・コミュニケーション・レジャー・ボランティア・まちづくり・高齢化社会・・・といろいろだった。その幅も学術論文的なものから、電話による取材コメントまで広がっている。
 私の人生の足跡・体験・ライフワークの一部を紹介させていただいたが、この業界へのグローバルなテーマ・発想から示唆・提案・アドバイスしてきた立場を少しは理解をしていただけると思っている。それは社会体育活動・子育て支援活動・企業内フィットネス活動・健康生活支援活動・高齢者支援活動・コミュニティ活動・・・と「ライフスタイルと生涯学習」を結ぶテーマである。
 それは、一般的な大学教員的な一分野の専門的立場でないこと、バブル時代商法の入会導線中心的な会員ザル方式のテクニック・方法をアドバイスするといったコンサルタント的立場でもないことを理解していただけたのではないかと確信している。